バキバキな肩

なんでもかくよ

りんしょうしんりがく

 

臨床心理学になんで興味あるの??

 

なんで、教育哲学のゼミ入ったのに、

臨床心理学に興味あるの?

 

なんで、教育心理学のゼミ入らなかったの?

 

って聞かれたわけじゃないんですが、

私にめちゃくちゃ興味があって、

私に気を使わない人(ここではいい意味で使ってます)がいたら、

そう聞いてくると思うんです。

 

これまで、この架空の質問に対して、

私は、うーんって感じだったんですね。

 

しかし、それを理論的に説明できるって、

秋からの複数の授業の内容組み合わせたら

気付いたんで、勝手に答えます。

 

そもそも、私が臨床心理学を勉強しようと思ったきっかけは、

カウンセラーのような役割を将来担いたい、という理由からです。

人の悩みを解決する手助けをしたいんですね。

 

人の悩みを解決するような仕事をしてる人は、臨床心理士の資格を持っていなくてもたくさんいると思うんですけど、

私がもし本当に深刻な悩みを抱えていてどうしようもない立場だったらどうかって考えた時に、

やっぱり社会的に認められてる大学院、資格を持っている人に相談したいなあと思ったんです。

 

だから、私は、臨床心理学を勉強しなくてはいけなくなったわけなんです。

 

こういう理由だから、臨床心理学自体に興味があるのか?って聞かれたら、

 

そのへんうやむやにしてたんですけど。

 

臨床心理学って、心理学の中でも特殊って教えてもらって。

 

ああ!!なるほど!!

 

ってなったんです。

 

まず、心理学の中には、様々な心理学があるんですね。

教育心理学とか認知心理学とか発達心理学とか。

臨床心理学もその1つで。

 

そして、臨床心理学以外の心理学は、全部、科学的であることが求められるんです。

 

科学的っていうのは、

つまり、客観性、再現性のある証拠が常に求められるということ。

 

一方で、臨床心理学は、心理学の中でも、

科学的でなくてもいいとされた学問なんです…!

 

…びっくりですよね。

なんで!?って感じ!!

 

臨床心理学は、それぞれの学者の考えが展開されてる場合が多かったりします。

そこに客観的な証拠とかは必要ないんです。

 

だから、臨床心理学っていうのは、かなり哲学的なんですね。学者の思想ですから。

 

例えば、臨床心理学の手法としてよく使われる精神分析学なんですが…

 

提唱したのは、フロイトです。

 

フロイトは、人間の無意識に注目しました。

 

人間の行動の全ては、その人のリビドー、つまりは、性欲によって決まる。

 

って言いました。

 

 

…ええええ!?

気持ち悪い。。

 

もちろんここに客観的な証拠なんて一つもないです。

ただ、フロイトさんがそう言っただけ。

 

この性欲説に対しては、当時の弟子のユングさんやらアドラーさんが否定したりしてます。

 

だから、教育哲学のゼミにいる私が、

臨床心理学に結果的に興味を持つことになった理由もここにあるともいえると思うんです。

(いや、カウンセラーになりたかったからじゃないの?ってなるかな…でもなんかこうもいえると思うんです…)

 

私の卒論で取り上げる哲学者ウィトゲンシュタインの書籍を探していても、

ウィトゲンシュタイン精神分析、 

みたいな本があって。

 

そのときは、

は??

心理学と哲学一緒にしちゃっていいの??

ってなってたんですけど、やっと理由が分かりました。

 

臨床心理学は、哲学的な側面があるから。

 

…よかったです!!

 

《補足》

他の心理学者からは、

臨床心理学も科学的でなくてはならないっていう批判があったりします。

 

科学的な知見に基づかずに、

患者からお金をとって治療するのってどうなの?っていう。

 

臨床心理学の中にも、

科学的な知見に基づいて治療する方法があって、それを認知行動療法といいます。

 

しかし、臨床心理士の専門分野の割合は、

精神分析9割、認知行動療法1割といった状況です。

 

私の大学に教えにきてる先生は、

1割の方の人で、初回から精神分析に対してかなり懐疑的でした。

 

みなさんは、臨床心理学が科学的であるべきだと思いますか?

 

私はまだ分からないです…